2016年4月6日水曜日

第45回衆院選@岡山5区について その②たくさん出来た「共産空白区」のひとつだった そこに今回の勝算か


前回の投稿(花咲氏は5区で負けたけど比例で復活当選していた)に続いて2009年の第45回衆院選、岡山5区の結果から、「?」がついたもう一つ。調べてみたら、いわば前回の投稿の裏側のようなことでした。

「あれ?なんで日本共産党の候補者がいないの?」

ぼくは恥ずかしながら、最近、共産党は全選挙区で候補者を立てるという選挙をする党、と知ったんですが、この時、岡山5区で候補者を立てなかったのは、実は、こういうことのようです。


↑を読んでいただくとよくわかると思いますが、要するに、共産党はずっと昔から全選挙区で候補者を立てていたが、その方針を変更していた時期があったんですね。それが第44回と第45回で、全国に「共産空白区」を沢山生じさせた。その1つが岡山5区だったと。

この記事によれば、共産も民主も選挙協力は否定していた、とのことなので今回のような「野党共闘」の結果ではないですが、現象としては「野党共闘」と同様の結果(野党候補者をしぼり、票を集める)を導き、そして、民主は政権交代を実現した。

これは、世の中の想像以上の結果だったのではないかと思います。なぜなら、共産空白区というのは、民主支持者、あるいは非自民の市民がとくに大きな力を集めて創りだす、いわば積極的な野党共闘の戦術ではなく、単に共産党の都合でできてしまった(少なくともそう報じられている)ものであって、選挙を闘う努力はそれほど必要なかった、ムードで勝ったんじゃないでしょうか?

当時「共産空白区」を大量に作った本当の理由は定かではないですが、その際に民主党が勝って政権を取ったという、事実は重いです。

昨年夏、安保法制成立後、すぐに共産党が「選挙協力する!」と動いたのは、この時の経験から勝算を導き出しているのではないかと思えてきます。

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