2016年4月27日水曜日

岡山5区での過去の野党候補者【その2】秦知子(はたともこ)氏 まずはここでの実績。


過去の野党候補者、その2は、秦知子氏。
現在はひらがなで「はたともこ」とのこと(戸籍も?)。

衆院選、岡山5区では、第42回、第43回の2回出馬。
2回、ということは、1回目と2回目を比べられる!
ということで・・・

◎第42回 → 第43回 票の動き

・投票率:65.20% → 63.92% に減っている。

そんな中、

・はた氏の得票数:57,368 → 69,908 12,540、増えている

一方ほかの政党から出ている候補者は、

・自民(村田氏):116,206 → 104,052 12,154、減っている
・共産(国末氏、木阪氏):12,745 → 8,482 4,263(ほぼ1/3!)減っている

ということは、

 自民の減った分+共産の減った分の一部が、民主のはた氏に移ったという形。

むむ〜!岡山5区で支持を積極的に伸ばしたということは間違いない。
どのような選挙運動が行われたのでしょうか、超気になる〜。

※共産党の票が1/3も減っているのもわけがありそうだけど、ともあれ、それぐらい減ることもある、という前例として覚えておこう。

前回の投稿から、過去の候補者は今、ってことで調べ始めたけど、今回はこれで締めときます。同じ区で複数回出馬というのはとても重要な実績ですね。チャレンジの結果、というのは未来にとって何より得難い情報。

2016年4月18日月曜日

岡山5区での過去の野党候補者は、あれからどうしてるのかな?【その1】木口京子氏

岡山5区の第41回(1996年)、第42回(2000年)衆院選結果です。息子と二人分電車賃往復2,580円かけて県立図書館まで行って調べた「有権者数」と「投票率」を追記しています。(井原市選管にも選挙結果調はあるらしい。先に聞けばよかった。。)

この2回の民主党候補者、なんか聞いたことあるお名前だな・・・。



ひとまず、第41回に出た木口京子氏(当時29歳)を調べてみます。
脚注に「木口は2011年に県議会議員選挙(岡山市南区)に立候補し、当選。」(当時43歳)と記載されてる。


◎木口京子 岡山県議会議員―岡山が好きだから一生懸命
http://kiguchi-kyouko.com/

現在、県議現職。なんで、岡山市南区の県議の名前に既視感を覚えるのかなと、ググってみると。

◎井原市長選、木口京子氏立候補(2010年)
http://yaplog.jp/seizaikai/archive/12

(←画像は中国新聞)

「木口氏が立候補表明 国際貢献大学校講師 井原市長選 

今年8月29日告示、9月5日投開票の井原市長選に、新人で公設国際貢献大学校(新見市)講師の木口京子氏(42)が21日、無所属で立候補表明した。
木口氏は矢掛町出身。政党職員や民主党衆院議員秘書を経て今年5月から現職。また、03年からAMDA国際福祉事業団監事を務めている。市議5人の「元気な井原市を創る会」の要請を受けて立候補を表明。木口氏は「市議の方々の市への熱い思いと信念に動かされた。井原が元々持つ力をより大きくし、市民のみなさんの生活をより良いものにしたい」と述べた。
同選挙では現職の滝本豊文氏(54)が既に再選出馬を表明している。」

 (↑テキストは毎日新聞?)

思い出した。わが町井原市の2010年市長選に出てた。2011年県議選の1年前。


※REAL POLITICS JAPAN
http://www.realpolitics.jp/senkyo/db/city.php?c=332071

井原市議会議事録で市議5人からなる「元気な井原市を創る会」のメンバー確認 → 表作成
この会の市議、現職は森下金三氏と三輪順治氏の2人のみ。


井原市HP「議員紹介」のページより




◎まとめ:木口京子氏について

・矢掛町出身
・民主党衆議院秘書経験

1996年 衆院選:岡山5区で民主党から立候補、落選。得票数42,555/有権者数293,113人、投票率66.94%。
2010年 井原市長選で「元気な井原市を創る会」が擁立して立候補、落選。世話人 三輪順治市議のブログに詳細な記録あり得票数8,479/有権者数36,931人、投票率68.01%
2011年 岡山県議選:岡山市南区で立候補、当選。得票数11,920/有権者数 : 133,023人、投票率 : -%
2013年 民主党を離党?→ 垣内雄一氏のツイートhttps://twitter.com/kakiutiyuuiti/status/337000758597787651

2016年4月11日月曜日

過去の選挙結果にアクセスするには

◎岡山県選挙管理委員会事務局ホームページ
 http://www.pref.okayama.jp/soshiki/156/

ここに、平成12年以降の選挙結果が掲載されてるんです。
でもね、もうちょっと古いの知りたくなります。

県選管に問い合わせたところ、以下のことがわかりました。

・県内で執行された国政選挙及び県選挙(県知事選挙及び県議会議員選挙)については、岡山県選挙管理委員会で結果をとりまとめ「選挙結果調」という冊子を作成している。

・主な配布先は、総務省や他の都道府県選管、県内市町村選管、報道機関、図書館等。
図書館は、国会図書館、岡山県立図書館、岡山市立中央図書館へそれぞれ配付。ただし、県内の公立図書館すべてには配付できていない

井原市内なら、井原市選挙管理委員会で閲覧可。閲覧を希望する冊子があるかどうか、井原市選管に問い合わせてからが確実。

・県庁内にある「県政情報室」でも閲覧可。

・ちなみに、市町村長選挙、市町村議会議員選挙の結果は、岡山県県民生活部市町村課が発行する「岡山県市町村年報」に収録。県内の主要な公立図書館にも配付されている。

今度、井原市選管にいってみよう。

2016年4月6日水曜日

第45回衆院選@岡山5区について その②たくさん出来た「共産空白区」のひとつだった そこに今回の勝算か


前回の投稿(花咲氏は5区で負けたけど比例で復活当選していた)に続いて2009年の第45回衆院選、岡山5区の結果から、「?」がついたもう一つ。調べてみたら、いわば前回の投稿の裏側のようなことでした。

「あれ?なんで日本共産党の候補者がいないの?」

ぼくは恥ずかしながら、最近、共産党は全選挙区で候補者を立てるという選挙をする党、と知ったんですが、この時、岡山5区で候補者を立てなかったのは、実は、こういうことのようです。


↑を読んでいただくとよくわかると思いますが、要するに、共産党はずっと昔から全選挙区で候補者を立てていたが、その方針を変更していた時期があったんですね。それが第44回と第45回で、全国に「共産空白区」を沢山生じさせた。その1つが岡山5区だったと。

この記事によれば、共産も民主も選挙協力は否定していた、とのことなので今回のような「野党共闘」の結果ではないですが、現象としては「野党共闘」と同様の結果(野党候補者をしぼり、票を集める)を導き、そして、民主は政権交代を実現した。

これは、世の中の想像以上の結果だったのではないかと思います。なぜなら、共産空白区というのは、民主支持者、あるいは非自民の市民がとくに大きな力を集めて創りだす、いわば積極的な野党共闘の戦術ではなく、単に共産党の都合でできてしまった(少なくともそう報じられている)ものであって、選挙を闘う努力はそれほど必要なかった、ムードで勝ったんじゃないでしょうか?

当時「共産空白区」を大量に作った本当の理由は定かではないですが、その際に民主党が勝って政権を取ったという、事実は重いです。

昨年夏、安保法制成立後、すぐに共産党が「選挙協力する!」と動いたのは、この時の経験から勝算を導き出しているのではないかと思えてきます。

2016年4月1日金曜日

第45回衆院選@岡山5区について その①比例復活というシステムが働いた・・・有権者にとって大切なことは「国会の議席配分」を動かす意識


2009年8月30日の第45回衆院選で民主党は政権交代を果たしたんですね。けど、この時でさえ、岡山5区では自民党の加藤勝信氏が勝ち、民主党の花咲宏基氏は負けたんです。

「なんて地域に住んでるんだ・・・!」

このとき自分の住んでいる地域に対する強い自覚がうまれました。が、それは思い込みともいえるかもしれません。

ぼくは選挙制度についても、個別の選挙の結果についても、ほんの上辺のことさえ知らないんだと思います、けど、こうして自分なりに岡山5区のことを調べ始めてみると、気づいていくこと、恥ずかしながら初めて知ることがいろいろあります。

その1つ。

花咲宏基氏は負けた、が落選していない

花咲氏は岡山5区という選挙区で加藤氏に負けました、だけど、比例代表制という選挙のシステムによって、復活し、当選していたんですね。

比例で復活当選。そのことが当事者にとってどのような意味があるのかはわからないけど、とにかく、そういうシステムが存在し、全国のどこかの選挙区で比例票に「民主党」と書いた人が十分な数ちゃんと存在して(中には花咲氏の名を書いた人もいたかもしれないけど)、ここ岡山5区で負けた候補者に作動した、という事実。

座間宮さんが口を酸っぱくして言ってることです。

「国会の議席配分を変えること」

自分の地域にいいことをもたらしてくれる国会議員を選びたいのは当然。でも「政権交代」なんていう国全体の有り様の変化も重要でしょう。地元には都道府県議会議員や市区町村議会議員が存在するんです。国会議員に力があるからって、地域固有の課題解決のために、あまり頼るべきじゃないかもしれないですね。

そういうわけで、前にも書いたんですが、前回自民党が圧倒的な得票率を得た選挙区でも決してあきらめてはいけないんだと思います。比例票で、全国のどこかの野党候補者が復活当選して議席を確保する可能性があって、それはここ岡山5区でも実際に起きたことですから。

・・・さて、もう一つ、気づいて、調べたことがあるんですが長くなったので、また次回に。

2016年3月30日水曜日

次は得票「率」じゃなくて得票「数」!岡山5区のリアリティを探します。

岡山5区の票読みをするという、超マニアックな試みをしております。しかも、超素人の思いつき。

ですが、実はここ、自民党 加藤勝信氏の、そう、1億総なんとかでよく耳にする現職大臣の地元です。岡山5区では無敵の自民党。最近の衆院選では加藤氏「79.3%」の得票率!なんじゃそりゃ〜、いろんないみで〜。

というわけで、ブログ管理人は「無敵」と聞くと、つい、その弱点を探したくなるあまのじゃくでして、もし、岡山5区で与野党が接戦になるようなことになると「面白い」なと。ただそれだけ。

まあ、選挙が「面白い」とそれだけ政治家が本気になる、ということなので「地域にとってよいこと」なはず。「面白い」選挙いいですよね〜。このブログの投稿が、身近な人と選挙を語る時のひとつのネタになれば幸いです。

というわけで、前置きが長くなりました。今回も表とグラフ、自作です。得票「数」の表とグラフです。前回の得票「率」の表の数字を変えただけです。便利ですね〜。

青が自民、緑が非自民つまり野党合計です。「野党共闘」でこれを見る人は、45回から47回に向って、ぐーんと下がっている野党合計の折れ線の角度が気になりますね。そこ、「山裾」を見ると「だめだこりゃ」ってなりますから、違うところ見ましょう。

まずは自民のグラフ。大きな視点で見ると・・・確実に下がってますよ!人口、有権者が減ってるというのもありますが、それを差し引いても、別にのびてません!前回の得票「率」のグラフとは違いますね。得票「率」はぐーーんとのびてましたが、得票「数」はのびてないんです!

まあ、野党合計はもっとのびてませんけどね。

要するに、政治に、選挙に関心がなくなっていっているってことです。
あ、これいっちゃおしまいですね。

見方を変えてみます。

ここで、自民は「のびていない」と見て安心するか、選挙に関心が薄れているご時世の中でも「維持している」と見て危機感をキープするか。危機感があれば、どうやって維持しているのか、それを気にすることにつながります。このブログは後者でいってみます。みなさんも危機感持ちましょうよ。

で、次は野党合計の「頂点」見て元気出しましょう!89,895!第45回衆院選。民主党が政権交代した時です。自民との差、15277。

てことは、この数の半数ちょい、7639、自民の得票数の7.3%が自民じゃなく民主の人に入れていたら、岡山5区という選挙区でも、自民が負けていた、ということです。

一度はそこまでの票が、岡山5区で掘り上げられた実績がある、という事実です。

この45回の得票数。もうちょっとなんか見れそう。
長くなりそうなので、続きは次回。

一応、いつもの表も貼っときますね。


2016年3月25日金曜日

岡山5区の得票率の推移 「自民」と「野党合計」で見てみる +今日知ったこと

今回は、得票率を見てみます。
「野党共闘」というわけで、「自民」と「野党合計」にしてみました〜。

岡山5区では、自民党の候補者は負けたことがないですね(-_-;)
あの45回で、民主党政権が誕生した時でさえ!

ただ、41回(1996.10)から45回(2009.8)までじりじりと両者の差は縮まってきていたように見えますね。それが「3.11」でパーンと弾かれたような感じ・・・ 。

では、毎度おなじみの画像を再掲しておきます。
まだまだ、発見は続きます!たぶん!



・・・今日知ったこと。
41回以降が「小選挙区制」。岡山5区は1人区、選挙区の当選は1人だけ。
40回以前は「中選挙区制」。「岡山県第2区(中選挙区)」に現在の岡山5区(小選挙区)は含まれ、1947年(昭和22年)の23回衆院選からずっと当選枠は5人(このリンク先の結果をまとめた表は、何だか見慣れない風景・・・今とは違う選挙・政治のあり方だったのだろう)。